鹿屋市 庭木 剪定 植木 剪定 伐採 植木屋 お庭業者

鹿屋市で庭のトラブル出張業者が鹿屋市で庭のお困りごとやご相談を承っております。
現地でのお見積り・ご相談は一切無料(点検作業を伴う見積もりは有料)です。
緊急のトラブルでも専用の受付窓口で対応しております。
ご予約の際はご都合の良いお時間をお知らせください。
休日・祝日、昼夜問わず受付中です。出張業者を初めてご利用になられる、という場合でも心配ありません。
コールセンターのオペレーターが優しく丁寧にご要望をお聞きいたします。いつ、どの場所で、どのようなご依頼をされたいのか、しっかりと確認いたします。安心して信頼できる業者に任せたい、いますぐ何とかしたい、料金の見積もりを取りたいなどお問い合わせはいつでもお気軽にお電話ください。

料金一覧表

種類作業内容作業料金(税込価格)
伐採低木(3m未満)¥2,200~/本
中木(3m~5m)¥9,900~/本
高木(5m~7m)¥25,300~/本
剪定低木(3m未満)¥1,100~/本
中木(3m~5m)¥6,600~/本
高木(5m~7m)¥16,500~/本
草刈り草刈り¥3,300~/㎡
除草機械刈り¥330~/㎡
草木の手入れ草木の手入れお見積り
芝張り芝張り(小石、既存の芝生除去などは別途)¥2,750~/㎡
人工芝人工芝お見積り
砂利敷き砂利敷き(材料代、残土等処分は別途)¥1,540~/㎡
植栽低木(3m未満/材料代、残土等処分は別途)¥11,000~/本
防虫防虫お見積り

金額は全て税込。 作業料金はパートナー店によって変わります。おおよその目安とお考え下さい。 クレジットカードのお支払も可能です(対応地域に限る)。 詳細はお電話でご確認ください。

鹿屋市 お庭のお困り 植木屋 出張ならお任せ

鹿屋市のお庭のご依頼解決します! 雑草に植木や花の栄養を吸い上げられないように除草も肝要です。庭木の消毒は、虫を駆除するためと、草木の病気の菌を退治するために行います。植木、植込みなどの剪定は美しく整形するためや、綺麗な花を咲かせるためなどにお手入れが大事です。木の枝が敷地を越えて道路のほうまで伸びている、芝生を張替えたい、立木・生垣の植栽・植樹をお願いしたい、樹木への病気の感染を防ぎたい、視線を遮る用途で木を植えたい、庭が荒れっ放しになっている、などのあらゆるお困り緊急で伺います! 快適な営みのお力になれたらと従業員ひとりひとりが精進致します。いつでもお電話下さい。鹿屋市でお庭のご依頼は鹿屋市出張の植木屋が解決します。

鹿屋市 庭のトラブル 施工事例/費用価格相場

2017年5月27日鹿児島県鹿屋市串良町岡崎木の処分 戸建 伐採 処分864,000円
2016年9月23日鹿児島県鹿屋市寿庭木の剪定 手入れ54,000円
2016年5月2日鹿児島県鹿屋市向江町庭木の剪定 手入れ21,600円
2015年9月29日鹿児島県鹿屋市川西町除草作業 庭木 雑草 剪定75,600円

企業情報

会社名株式会社 生活救急車
代表取締役大垣内 剛
所在地名古屋市中区錦一丁目10番20号
事業内容生活緊急サービス事業

株式会社 生活救急車は、東証プライム上場のジャパンベストレスキューシステム株式会社と資本提携している、株式会社アクアラインと、ジャパンベストレスキューシステム社が共同出資する企業です。

鹿屋市で庭のトラブルはお任せください

庭木の剪定や伐採、抜根、植木の植栽やお手入れ、腕の確かな植木職人に松の木の剪定をお願いしたい
大きくなりすぎた木の伐採、処分、木の枝が隣の家に伸びてしまった
草刈り・芝刈りや芝張り、砂利敷きなど庭づくり・外溝工事を依頼したいなど
お庭のごとなら年中無休のフリーダイヤル通話料無料で受付しております。

鹿屋市 庭 出張エリア

  • 鹿屋市古前城町
  • 鹿屋市本町
  • 鹿屋市朝日町
  • 鹿屋市向江町
  • 鹿屋市共栄町
  • 鹿屋市新栄町
  • 鹿屋市北田町
  • 鹿屋市大手町
  • 鹿屋市西大手町
  • 鹿屋市曽田町
  • 鹿屋市白崎町
  • 鹿屋市新川町
  • 鹿屋市王子町
  • 鹿屋市打馬
  • 鹿屋市寿
  • 鹿屋市札元
  • 鹿屋市旭原町
  • 鹿屋市上谷町
  • 鹿屋市新生町
  • 鹿屋市大浦町
  • 鹿屋市西原
  • 鹿屋市郷之原町
  • 鹿屋市今坂町
  • 鹿屋市上野町
  • 鹿屋市野里町
  • 鹿屋市笠之原町
  • 鹿屋市東原町
  • 鹿屋市上祓川町
  • 鹿屋市祓川町
  • 鹿屋市下祓川町
  • 鹿屋市西祓川町
  • 鹿屋市田崎町
  • 鹿屋市川西町
  • 鹿屋市川東町
  • 鹿屋市永野田町
  • 鹿屋市名貫町
  • 鹿屋市飯隈町
  • 鹿屋市萩塚町
  • 鹿屋市星塚町
  • 鹿屋市池園町
  • 鹿屋市南町
  • 鹿屋市大姶良町
  • 鹿屋市獅子目町
  • 鹿屋市田淵町
  • 鹿屋市横山町
  • 鹿屋市下堀町
  • 鹿屋市高須町
  • 鹿屋市浜田町
  • 鹿屋市花岡町
  • 鹿屋市根木原町
  • 鹿屋市花里町
  • 鹿屋市有武町
  • 鹿屋市小薄町
  • 鹿屋市高牧町
  • 鹿屋市海道町
  • 鹿屋市古里町
  • 鹿屋市白水町
  • 鹿屋市小野原町
  • 鹿屋市天神町
  • 鹿屋市船間町
  • 鹿屋市古江町
  • 鹿屋市上高隈町
  • 鹿屋市下高隈町
  • 鹿屋市永小原町
  • 鹿屋市輝北町上百引
  • 鹿屋市輝北町下百引
  • 鹿屋市輝北町平房
  • 鹿屋市輝北町市成
  • 鹿屋市輝北町諏訪原
  • 鹿屋市串良町細山田
  • 鹿屋市串良町有里
  • 鹿屋市串良町岡崎
  • 鹿屋市串良町下小原
  • 鹿屋市串良町上小原
  • 鹿屋市吾平町下名
  • 鹿屋市吾平町麓
  • 鹿屋市吾平町上名

※離島やスタッフの欠員状況により、一部地域の対応ができない場合があります。対応地域についてはお気軽にお尋ね下さい。

鹿屋市 エリア情報

荒平天神

海に突き出た岬に位置する神社。天文年間(1532年~1554年)の創建と伝えられており、菅原道真を祀っている。地元の人々からは学問の神として親しまれているという。受験シーズンには多くの受験生が参拝に訪れるそう。この辺りは景観にも恵まれ、海岸線や開聞山、桜島を見渡すことが出来る。また夕日に映える荒平天神は美しく神秘的な雰囲気に包まれるという。

鹿屋市(かのやし)は、鹿児島県にある市。九州南東部、大隅半島の中央部に位置します。

人口10万人を擁する、大隅半島の行政・経済・産業の中核となる都市です。年間の平均気温17℃という温暖な気候と豊かな自然を活かした農業・畜産が盛んで、黒豚やブロイラー、落花生、サツマイモなどが特産品です。また、国立大学の鹿屋体育大学や海上自衛隊鹿屋航空基地があることでも全国的にその名が知られています。

鹿児島県内では鹿児島市(県庁所在地)・霧島市に次いで3番目の人口規模を有する都市です(人口10万人規模の都市としては他に薩摩川内市がある)。現在の鹿屋市は2代目で、旧鹿屋市と肝属郡の2町(吾平町・串良町)、曽於郡1町(輝北町)との合併により2006年に発足しました。初代・鹿屋市の市制施行は1941年5月27日(海軍記念日)です。

現在は「ばらのまち」「健康・交流都市」をキャッチフレーズとしています。

位置・地形

有里から見た高隈山

鹿屋中心市街地

鹿屋市役所7階から見た市街地と高隈山地

大隅半島のほぼ中心部に位置していて、市域は東西20km、南北41kmに及びます。市の北西部には高隈山地、南東部には肝属山地(国見山地)が連なります。両山地との間に笠野原台地・鹿屋原台地などのシラス台地、市の中央部を流れる肝属川の沖積平野を中心とする肝属平野が広がります。西部は鹿児島湾(錦江湾)に接し海岸線が続いています。

気候

鹿屋
雨温図(説明)
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気温(°C)
総降水量(mm)
出典:
インペリアル換算
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気温(°F)
総降水量(in)

市街地では数センチメートルの積雪で「記録的な積雪」となります(県立鹿屋高校、2005年12月22日)

研究者により気候区分の定義は異なります。一例としてケッペンの気候区分では温暖湿潤気候 (Cfa) とされています。日本国内の気候区分では太平洋側気候とする書籍もある一方で、関口武の気候区分では九州型気候と南海型気候の境界上に位置する、としています。

アメダス鹿屋(県立鹿屋農業高校内)の1976年からの統計資料によると、年平均降水量は2,351.1mm(1981 - 2010年)、年平均気温は17.3度(同上)、年日照時間は2016.9時間(1986 - 2010年平均)です。

年降水量は1993年と1999年が特に多く、1993年は6月からの3か月で2,782mm(年間では3,887mm)を、8月1日には1日で365mmを記録しました(#風水害および平成5年8月豪雨も参照)。最少を記録したのは1986年の1,354mmですが、1998年以降は2009年(1,982.5mm)を除いて2,000mmを下回っていません。

年平均気温は16度から18度(1997年以降は17度を下回っていない)を推移しており日本国内では比較的温暖といえます。真冬日となったことはありませんが冬日は年平均で32.7日あり、鹿屋市より北に位置する鹿児島市(3日)や宮崎市(16日)と比較して冷え込みは厳しいといえます。最低気温が25度以上となる熱帯夜の日数についても鹿児島市が年51.6日であるのに対し、鹿屋市では年15.6日にとどまります。

鹿児島市内で積雪に見舞われていても、鹿屋市では高隈山地などの山間部のみの積雪となることが多く市街地において画像のような積雪はまれです。

鹿屋の気象データ(位置:鹿屋市寿2丁目17-5、北緯31度23分24秒東経130度51分48秒、80m、観測時期:1981年-2010年、観測者:気象庁アメダス、出典:)

1月2月3月4月5月6月7月8月9月10月11月12月年間
平均気温(℃)7.28.511.515.919.722.926.927.124.619.414.19.117.3
平均総雨量(mm)73.5110.6181.2187.2224.9495.0353.4289.6236.8117.187.064.42351.1

輝北の気象データ(位置:鹿屋市輝北町市成、北緯31度35分18秒東経130度51分18秒、360m、観測時期:1981年-2010年、観測者:気象庁アメダス、出典:)

1月2月3月4月5月6月7月8月9月10月11月12月年間
平均気温(℃)5.76.79.614.118.121.225.125.222.617.712.77.815.5
平均総雨量(mm)84.4130.4217.3245.8266.0536.2390.5306.2282.2128.6100.877.72757.8

風水害

「平成5年8月豪雨」も参照

鹿屋市内で発生した主な風水害として、1976年6月24日の集中豪雨や1993年の長雨などが、旧吾平町・串良町では1938年10月15日の水害があります

1976年6月23日から25日にかけての集中豪雨では865mmの降水量を記録、市街地が浸水し、全体で11億4,100万円の被害を受けました。これが肝属川の河川トンネルである鹿屋分水路が建設されるきっかけとなりました。

1993年の長雨では、鹿児島市を中心とした「8.6水害」ではなく「8.1水害」の際に観測史上最多の降水量を記録しておりです(7月31日から8月2日までの雨量は617mmであったのに対し、8月6日は108mmで被害も出ていない)、同年9月3日の台風13号のほうがより大きな被害をもたらしています。台風13号は「戦後最大級」と称されるほどの規模でありました。鹿屋航空基地気象班の観測では最大瞬間風速約66m/sを記録し、九州電力鹿屋営業所管内のほとんどの世帯(98パーセント、約93,600世帯)で停電しました。一連の長雨による被害額は合計で45億3,813万円に上り、そのうち、台風13号のみで31億2,604万円を計上しました。

隣接する自治体

肝属郡肝付町、東串良町 曽於郡大崎町

西

垂水市

肝属郡錦江町

霧島市 曽於市

人口

鹿屋市(に相当する地域)の人口の推移
1970年
95,915人
1975年94,790人
1980年100,005人
1985年102,653人
1990年103,761人
1995年105,059人
2000年106,462人
2005年106,208人
2010年105,086人

地区

旧鹿屋市が策定した第三次鹿屋市長期総合開発計画(1996年4月)では当時の鹿屋市を9の地区に分けていて、現在の鹿屋市総合計画(2008年)においてもほぼそのまま引き継がれています。その範囲はおおよそ鹿屋市内の中学校区に合致します。

旧鹿屋市内では大字は1950年2月6日に廃止され、全て「○○町」の名称に統一されました。のちに西原町・寿町・打馬町はそれぞれ「○○X丁目」(○○は地名、Xは数字)と改称されました。

2006年に鹿屋市と合併した3町にも「○○町」の名称は採用されていますが、こちらは3町を継承して2009年までに設置されていた地域自治区「○○町」を、大字の一部としたものです(一例として鹿屋市吾平町麓)。 1950年、町名設置によりそれぞれの大字から以下の町が発足しました。

中名(旧鹿屋町)

今坂町、打馬町、王子町、大浦町、大手町、笠之原町、北田町、共栄町、古前城町、寿町、郷之原町、白崎町、新川町、新生町、曽田町、高牧町、西原町、本町、向江町

祓川(旧鹿屋町)

旭原町、上祓川町、下祓川町、西祓川町、祓川町、東原町

田崎(旧鹿屋町)

川西町、川東町、田崎町

高須(旧鹿屋町)

高須町

木谷(旧花岡村)

花岡町、船間町、古江町

白水(旧花岡村)

小野原町、海道町、白水町、天神町

大姶良(旧大姶良村)

大姶良町、永小原町

西俣(旧大姶良村)

飯隈町、池園町、下堀町、永野田町、名貫町、萩塚町、星塚町

獅子目(旧大姶良村)

獅子目町

南(旧大姶良村)

南町

横山(旧大姶良村)

田淵町、横山町

野里(旧大姶良村)

上野町、野里町

浜田(旧大姶良村)

浜田町

1950年以降の主な町名・大字の変遷は以下のとおりです。

1955年1月20日 - 高隈村の編入に伴い、下高隈町(高隈村下高隈)・上高隈町(同上高隈)を設置します。 1956年(月日は不詳) - 白水町、海道町、古江町、船間町、天神町のそれぞれ一部から古里町が発足します。 1958年1月20日 - 垂水町新城(旧新城村)の根木原・桜町地区編入に伴い、根木原町・有武町を設置します。 1967年2月1日 - 市街地区で住居表示を実施。これに伴い打馬町を1丁目・2丁目に分割し、本町の一部が朝日町に、北田町の一部が西大手町になります。 1970年1月1日 - 西原地区で住居表示を実施。これに伴い西原町を1丁目から4丁目に分割。新栄町・上谷町を設置します。 1971年4月1日 - 花岡町から小薄町・花里町を分割します。 1971年10月1日 - 寿地区で住居表示を実施。これに伴い寿町を寿1丁目から8丁目、札元1丁目・2丁目に分割します。 2006年1月1日 - 現・鹿屋市の発足に伴い、合併前の3町にあった大字をそのまま継承します。 2010年1月1日 - 地域自治区「輝北町」「串良町」「吾平町」の設置期間終了に伴い、大字を「○○」から「○○町○○」(例:麓→吾平町麓)に改称します。 2011年8月1日 - 笠之原町の一部で住居表示を実施。

市街地中心地区(北田・本町地区)

城山公園からみた市街地中心地区

向江町(タイヨー鹿屋店付近、2007年撮影)
飲食店街、金融機関などがある中心街。行政・商業地区です。百貨店の閉鎖や市役所、県立病院の移転、郊外の大型店舗の進出により空洞化が進んでいます。市役所跡地はイベント広場になっており近年までさまざまな催事に使われていました。特に土曜朝市は地元住民に好評。2004年には旧桜デパート閉店後、唯一この地区に残っていたスーパーまるはセンターが閉店。商店街のシャッター通り化・空洞化がさらに進みます。人口は1975年4月時点で10,888人、2000年時点で9,596人と減少傾向にあったのですが、2005年時点では9,642人と増加に転じています。

この状況を打開するため、北田大手町地区では鹿屋市主導で市街地再開発事業が行われています。その中心施設であるリナシティかのやは2007年4月に総合オープン。それに先駆けて2005年春、中心的存在だった旧桜デパートと向かい側にある旧バスセンター(1970年代まで使用)の建物が取り壊され、北田交差点付近は一時期かなり閑散となりました。また、2006年6月には鹿屋バスセンター(いわさきグループ・三州自動車、当時は大隅交通ネットワーク)の建物も取り壊され、こちらは2007年4月にコンビニエンスストアとドラッグストアが建てられています。

町名:古前城町、本町、大手町、西大手町、北田町、新栄町、朝日町、向江町、共栄町、曽田町、白崎町、王子町、打馬(1丁目・2丁目)、西祓川町、下祓川町

西原地区

西原地区(今坂町の鹿屋郷之原アナログテレビ中継局付近から撮影)

第一鹿屋中学校区。市街地中心地区の西隣に位置します。1941年以前は鹿屋町の一部(野里町・上野町は大姶良村)。

海上自衛隊鹿屋航空基地や運動公園、学校などが集まっている住宅・文教地区。旧国道220号沿いに団地や各種商店が並んでいます。スプロール現象が発生しています。また、鹿屋市など大隅半島を拠点とするマスメディア(南九州新聞・おおすみFMネットワークの拠点は当地区に所在します。「バラ園」のある霧島ヶ丘公園は当地区と大姶良地区と高須・浜田地区との境界線上にあります。

人口は2005年時点で19,708人。1975年時点の16,637人からは増加していますが、1990年代以降はほぼ横ばいです。かつては旧鹿屋市域の地区別人口で首位を占めていましたが、1995年4月以降は寿地区に逆転されています。

町名:西原(1丁目 - 4丁目)、上谷町、新川町、大浦町、郷之原町、今坂町、上野町、野里町

寿地区

寿・札元地区

寿地区。奥におばま病院の建物が見えます。

鹿屋東中学校区。市街地中心地区の東隣に位置し、笠野原台地の南西端にあたります。1941年以前は鹿屋町の一部。

旧国道220号(県道68号)、国道269号、国道220号鹿屋バイパスに囲まれた地区を中心に1970年代以降発展した商業・住宅地域。最近は札元地区の鹿屋バイパス沿いに大型店の進出が相次いでおり、寿・札元地区で新しい市街地を形成しつつあります。

西原地区と同様にスプロール現象が発生しています。かつてはここで地方競馬が行われていて、現在では寿北小北東部の道路形状にそのコースの名残を確認できます。

2005年時点の人口は23,074人。1995年4月時点での人口は20,200人で1975年4月時点の11,473人の倍近くとなり、このときに旧鹿屋市域内の地区別人口で首位になりました。

町名:寿(1丁目 - 8丁目)、札元(1丁目・2丁目)、新川町、旭原町、笠之原町

東原・祓川地区

瀬戸山神社(三国名勝図会)

鹿屋中学校区。市街地中心地区の北隣に位置します。1941年以前は鹿屋町の一部。

笠野原台地や高隈山地の山裾にあり農業が盛んです。東原町には気象庁地磁気観測所の鹿屋出張所があり、地磁気や地電流の観測を行っています。南北を国道504号が貫きます。2005年時点の人口は3,372人。

町名:東原町、上祓川町、祓川町

田崎地区

七狩長田貫神社

田崎中学校区。市街地中心地区の南隣に位置します。1941年以前は大部分が鹿屋町の一部でありました。

寿地区との隣接地区を中心に住宅地の開発が進み、西原・寿地区と並び人口増加地区となっています。川西町に鹿児島県立鹿屋工業高等学校が設置されています。県道68号が通ります。2005年時点の人口は8,382人。

町名:田崎町、川西町、川東町、名貫町、永野田町

大姶良地区

大姶良中学校区。旧鹿屋市の南部に位置し、1941年以前は下堀町を除き大姶良村の大部分を構成していました。

農業が盛んで、下堀町、横山町は鹿屋原台地にあります。国立ハンセン病療養所の星塚敬愛園があります南部を県道73号が横断します。1995年時点では人口は減少傾向にあったのですが、近年は横山町で住宅地の開発が進行しつつあります。2005年時点の人口は8,574人。

町名:大姶良町、南町、獅子目町、田淵町、飯隈町、池園町、荻塚町、下堀町、横山町、星塚町

古江・花岡地区

荒平天神(菅原神社)

花岡中学校区。旧鹿屋市の北西部に位置し、おおよそ1941年以前の花岡村が範囲です。ただし、高牧町は1941年以前の鹿屋町、根木原町と有武町は1958年まで垂水町、白水町のうち一里山地域は1941年以前の大姶良村です。カンパチの養殖が盛んな海岸部と鹿屋体育大学などのある台地にわかれます。

白水町に鹿屋体育大学、花里町に大隅青少年自然の家が所在します。高隈山の鹿屋中継局(県域TV・FM送信所)も厳密には当地区(有武町)に所在します。天神町には菅原道真が祭られた神社があります国道220号・県道68号が通ります。2005年時点の人口は4,903人。

町名:花岡町、古里町、海道町、白水町、小薄町、花里町、小野原町、高牧町、有武町、根木原町、古江町、船間町、天神町

高隈地区

大隅湖

高隈中学校区。旧鹿屋市の北部に位置し、高隈山地とその周辺の自然に囲まれた地区。1955年に鹿屋市に編入される以前は高隈村を構成していました。

2003年に開通した国道504号高隈バイパスが中心部を回避することから閑散とした様子となっています。肝属川支流の串良川流域に高隈ダム(大隅湖)があり、笠野原台地の農業発展に一役買っています。2005年時点の人口は2,144人。1975年4月時点の3,003人と比較して減少傾向にあるといえます。

町名:上高隈町、下高隈町

高須・浜田地区

高須中学校区。旧鹿屋市の南西部に位置します。高須港は中世以来の港で、1941年以前は鹿屋町の飛地でありました(浜田町・永小原町は旧大姶良村)。

錦江湾に面していて、鹿屋市内における海水浴の拠点となっています。国道269号が南大隅方面へ繋がっています。霧島ヶ丘公園の「かのやばら園」の住所上の所在地は当地区の浜田町。2005年時点の人口は1,839人。

町名:高須町、浜田町、永小原町

南部(吾平町)

吾平山上陵

旧吾平町域。北部は旧鹿屋市のベッドタウンとして機能している面があり、合併前の人口は微減傾向にとどまっていました。神武天皇の父母(ウガヤフキアエズ・タマヨリビメ)の陵墓といわれる吾平山上陵や大隅広域公園があります2005年の国勢調査時点の人口は7,357人。

大字:吾平町麓、吾平町上名、吾平町下名

東部(串良町)

慰霊塔

旧串良町域。大部分が笠野原台地に属し、農業が盛んです。平和公園には特別攻撃隊員の慰霊塔があります柳谷集落は「行政に頼らない集落」として全国的に知られます。東西を国道220号が通ります。なお、江戸時代には東串良町とともに「串良郷」を構成していました。2005年の国勢調査時点の人口は13,272人。

大字:串良町細山田、串良町有里、串良町岡崎、串良町上小原、串良町下小原

北部(輝北町)

輝北天球館

旧輝北町域。「星空日本一の町」とされるなど自然豊かな高原地域。鹿屋市内で唯一曽於郡に属した地域で、百引(もびき)・市成の2地区に分かれます。国道504号が縦断し、鹿児島空港方面からの「玄関口」にあたります。2005年の国勢調査時点の人口は4,108人。

大字:(百引地区)輝北町上百引、輝北町下百引、輝北町平房、(市成地区)輝北町市成、輝北町諏訪原

歴史

おおむね旧鹿屋市、特に旧鹿屋町の範囲を中心とした内容です。

旧吾平町域については「吾平町#歴史」を参照

市名の由来

市名の由来は、鹿屋市史によるといくつかの説があるといわれています。

古事記、日本書紀に登場する「熊襲(くまそ)の首長鹿文(かや)」の名によるという説。 周辺に多く自生していた茅(ちがや)の名が、「かのや」に転訛したという説。 鹿(しか)が多く棲息しておりそこから「かのや」になったとの説。

歴史的にみると、平安初期には「かのや」の地名で呼ばれていたということです。

古代

縄文時代早期から人の定住があり、弥生時代には王子遺跡といった大規模な集落がみられるようになります。王子遺跡の竪穴式住居として特徴的なものに、宮崎県南部を中心に分布する「花弁状住居」があります

古墳時代には南九州地域独自の地下式横穴墓がみられるようになりますが、志布志湾沿岸に点在する前方後円墳は肝属川下流の串良町・吾平町でみられるのみで、旧鹿屋市・輝北町では他の鹿児島県内の地域と同様に存在しません。

7世紀ごろは隼人の全盛期で、ヤマト王権が勢力を拡大する中現在の鹿児島県本土は半独立の状態でありました。ただし隼人の一部は早くからヤマト王権とのつながりを深めていて、国造・県主となった者も存在しました。713年に大隅国が設置されても完全にヤマト王権に服属せず、約6年後(720年)には大隅国国司の陽侯史麻呂を殺害した隼人の反乱が勃発しました。ヤマト王権はこれを1年半をかけて制圧し、大隅の支配体制を確立しました。班田収授法が大隅国で実施されたのは800年のことであったのですが、すでに班田収授法は壊滅状態で、大隅国内のほとんどの領地が荘園となりました。

律令制では大隅国に属し、鹿屋市の大部分は姶羅郡(現在の姶良郡とは別)・大隅郡(明治時代に消滅、大隅国設置当時の範囲は現在の大崎町から鹿屋市南部にかけての肝属川流域)となりました。なお、当時の肝属郡は大隅半島最南部(現在の南大隅町・肝付町など)に位置していて、中世以降に姶羅郡も肝属郡に含まれるようになりました。曽於郡は現在の曽於市・垂水市北部・霧島市東部を範囲としていました。

平安時代中期(930年代)の辞書『和名類聚抄』には、姶羅郡の郷として「鹿屋」「串伎」、大隅郡の郷として「姶﨟」がみられます。地名としての「鹿屋」はこれが初出です。

984年(『高城町史』では968年)に肝付氏の祖、伴兼行が薩摩国惣追捕使として下向し、子孫である兼俊が高山(現在の肝付町)へ移住した1036年に肝付氏を名乗ります。肝付氏は島津荘などの荘園を実質的に保有していましたが、1185年に島津忠久が地頭として島津荘を管理することとなり、ここからおよそ400年にわたる肝付氏と島津氏の争いが幕を開けることとなりました。

713年 - 大隅国設置。 720年 - 隼人の反乱が勃発。 800年 - 大隅国内で班田収授法を実施。 984年 - 伴兼行が薩摩国惣追捕使として下向。 1026年 - 島津荘が開発されています。 1036年 - 伴兼行の子孫の兼俊が肝付氏を名乗ります。 1185年 - 島津忠久が地頭として島津荘を管理します。

中世

「肝付氏」および「高山町 (鹿児島県)#歴史」も参照

正和年間(1300年代初め)に鹿屋院は肝付氏の一族である鹿屋氏によって統治され、鶴亀城(後の鹿屋城)を現在の城山公園の位置に置いました。肝付氏とは島津氏の後継者争いがきっかけとした応永の戦で対立したのを除いてほぼ行動を共にしています。

南北朝時代には荘園が崩壊し、肝付氏は南朝側(公家側)につき、守護大名となった島津氏と対立しました。高須港はこの頃から1573年に至るまで肝付氏の一大拠点として機能するようになり、大姶良は禰寝氏支配地との境界線上になったことから多くの山城が築かれました。

戦国時代中の1535年に島津氏の内紛が勃発し、肝付氏は島津氏と再び対立しました。一時期は島津氏を上回るほどの戦力を保有していましたが次第に衰退し、一時は肝付氏側についた禰寝氏が島津氏側に翻ったことが決定打となり1574年に島津氏に降伏しました。島津氏は1577年、伊東氏も降伏させたことで三州(薩摩・大隅・日向)をほぼ統一し、鹿屋氏も肝付氏とともに衰退をみることとなりました。

この後、鹿屋を中心とした肝属川流域は「他地域の人間による支配下」に置かれることになります。『鹿屋市史 上巻』(1967年版)では島津氏を悪者と見立て大隅への圧政を強調していますが、圧政自体は薩摩藩領内で共通する事柄です。

近世(島津氏による支配)

串良の地頭仮屋跡

鹿屋麓の武家門

肝付氏亡き後の肝属は、伊集院忠棟が鹿屋城を拠点に地頭として管理しました。忠棟は鹿屋城の修復・城下町の形成を始めとして水田開発などによる農業生産の向上、市(いち)の開催を手掛けました。後述する定期市はこのときに始まったものです。

薩摩藩は外城制(後に○○郷と改称)を敷き、現在の鹿屋市域では鹿屋・大姶良・花岡・高隈・串良・姶良・百引・市成の8郷(花岡と市成は私領)がおかれました。外城の成立時期は地域により異なり、鹿屋郷(外城)の場合は、私領を経て1645年に成立しました。郷は1889年の町村制施行の際にもほぼそのまま村となるなど、後世まで行政区域として機能しました。鹿屋市域では「南部(吾平町)」(『鹿屋市総合計画』による地域区分、姶良郷)、「高隈地区」(『鹿屋市総合計画』による地域区分、高隈郷)がその名残を伝えます。

鹿屋郷では定期市が月6回開催され、大隅半島各地を始めとして薩摩半島側の指宿からも集客がありました。当時は島津氏御用達の銘酒として「桜川」が存在しましたが、幕末と1882年頃の火災や時代の推移とともに衰退しました。名産品として鹿屋・大姶良で生産された「高須甘藷」(高須港から出荷されたため「高須」といわれました)がありました。

薩摩藩領内の農民は農業以外の職に就くことが許されず、年貢も8公2民(収穫のうち8割が徴収される、他藩は4公6民が一般的)という高率でありました。この他にも衣食住全般にわたって制約が課せられていて、百姓一揆を起こす余裕すらなかったのです。逃亡者も数多く発生し、薩摩半島(西目)側から農民を強制移住(人配、「にんべ」と読む)させることもありました。このような壊滅的ともされる経済状況は、明治期になってから改善されることとなります。

この時期の困窮具合を証明する資料として人口の比較が挙げられます。鹿屋郷には1801年時点では6,224人いたのに対し、1824年時点では6,180人に減少していて、逃亡や間引きが横行していたことが推測されています。

近現代

1931年ごろの北田本通りです(現在の国道269号)

1888年に肝属郡の役所が鹿屋郷中名(現在の鹿屋市街地)に設置されたことにより、近代都市としての鹿屋の発展がはじまります。1890年代には鹿屋を中心とする道路網が整備され、1910年代には電気・鉄道(後の大隅線)が通じるようになりました。

1889年4月の町村制実施時に旧来の郷(外城)は村となり、現在の鹿屋市域に8か村(鹿屋・花岡・大姶良・高隈・姶良・西串良・百引・市成)がおかれました。鹿屋村は1912年12月31日、鹿児島県内では加治木町に次いで2番目に町制を施行し鹿屋町となりました。西串良村は1932年5月15日、姶良村は1947年10月15日にそれぞれ町制を施行し串良町・吾平町となりました。百引村・市成村は1956年4月1日に合併し、輝北町として発足しました。

鹿屋市(初代)としての歴史は、1941年5月27日の鹿屋町・大姶良村・花岡村の3町村の合併・市制施行により始まります。1950年代には高隈村および垂水町の一部地域(根木原・桜町地域)の編入を実施しました。この頃は財政が悪化しており財政再建団体となっていました。

1960年代には公共交通機関の利用が最盛を迎え、バスセンターに隣接した桜デパートを中心とした地域の商業が盛んでありました。しかし、1970年代以降にシラス台地に位置する西原地区・寿地区に集落が発展するようになり、1991年度の市役所移転・国道220号鹿屋バイパス全線開通に伴うロードサイド店舗の出店・ショッピングセンター(プラッセだいわ)の開業により、中心市街地は衰退をみることとなりました。この対策として市街地再開発事業が実施され、2007年にリナシティかのや(鹿屋市市民交流センター)が開設されました。

2000年代に入ってからは「ばらのまち」キャッチフレーズとして使用するようになり、2006年に吾平町・串良町・輝北町と合併し2代目の鹿屋市となった際に市の花もバラに変更されました。

軍都としての鹿屋

金浜海岸(占領軍上陸の地)

1936年には市内(当時の鹿屋町・大姶良村境)に日本海軍航空隊の基地が置かれ、真珠湾攻撃訓練の中核地となり、第二次世界大戦中は特攻隊の出撃基地となりました。第二次世界大戦後は高須海岸(正確には1km北の金浜海岸)から占領軍が上陸。戦後も海上自衛隊の鹿屋航空基地が置かれ、現在でも国防の一大拠点都市としての役割が強いです。防空壕も数多く残されていて、2000年には道路陥没による死者が発生しています。

学校の設置・廃止

明治維新後すぐに鹿屋小学校が設置され、1870年代以降鹿屋市各地にも小学校が設置されました。旧制中学校(現在の県立鹿屋高校)は、志布志(現在の県立志布志高校)に設置されていたことや鹿児島県農学校(現在の県立鹿屋農業高校)があったことから1923年まで設置を待つこととなりました。

シラス台地に位置する西原・寿地区では人口が増加し続けていて、小中学校(寿北・西原台小学校・鹿屋東中学校)が増設されているのに対し、郊外の山間部では減少が続き、旧鹿屋市内だけでも1971年に高牧・桜町、1988年には柏木の各小学校が閉校しています。1981年には国内唯一の国立体育大学である鹿屋体育大学が開学し(学生の受け入れは1984年)、1986年には国立の大隅少年自然の家(おおすみくん家)が設立されました。

公共交通機関の衰退

1960年代に最盛を迎えた公共交通機関の利用も自家用車の普及に伴い減少していき、1987年3月には国鉄大隅線が廃止され、2006年11月には大隅交通ネットワーク(バス)の路線が大幅に廃止されました。現在でも垂水 - 鹿屋 - 志布志間のバスは1時間に1本程度ありますが、その他の路線は1日に数本程度に減便されています(鹿屋市コミュニティバスも同様)。鹿屋は鹿児島県・鹿児島市以上に車保有率が高く、完全にモータリゼーションが進行している地域です。

鹿屋市発足・吾平町制施行

1940年、皇紀2600年であったことや紀元節(2月11日)に川内市(現在の薩摩川内市)が鹿児島県の自治体としては2番目に市制を施行したことに伴い、鹿屋町・花岡村・大姶良村・姶良村の4町村では合併・市制施行の気運が高まったのです。各町村での議論の結果、1941年5月27日に姶良村を除いた3町村が合併・市制施行しました。5月27日は海軍記念日で、「鹿屋海軍航空隊とともに軍都として発展する」という意味合いがあります

1947年10月15日には姶良村が改称・町制施行し吾平町となりました。名称変更の理由として「鹿屋市の大姶良町や姶良郡宛の間違い郵便・運搬物が多く、支障をきたしている」ことを挙げています。また、当時の新聞記事は改称・町制施行を「1938年10月15日の水害からの復興記念」と報道しています。

昭和の大合併

「輝北町#昭和の大合併」も参照

高隈村と鹿屋市の合併記念碑

1950年代には鹿児島県が「昭和の大合併」として合併案を提示しました。現在の鹿屋市域では以下の通りとなります。

肝属郡高隈村・百引村、曽於郡市成村・野方村の4村を合併して新たな町とします。 串良町・東串良町の2町を合併して新たな町とします。 吾平町・高山町の2町を合併して新たな町とします。

1については、高隈村は鹿屋市と生活圏が一体化していることを理由として1955年1月20日に鹿屋市へ編入。野方村は分村し1955年4月1日に大崎町・西志布志村(後の有明町、現在の志布志市)・大隅町(現在の曽於市)に編入されました。残った百引村と市成村が1956年4月1日に合併し輝北町となりました。役場は旧百引村におかれ、郡は旧市成村が所属していた曽於郡となりました。

2については、串良町側は東串良町との合併には賛成だったのですが、東串良町側が自立路線を採ったため合併を断念。3についても、吾平町側が自立路線を採ったために平成の大合併に持ち越されることとなります。後に鹿児島県は吾平町と鹿屋市との合併案も示していましたが、これも婦人会などの反対により頓挫しました。吾平町が合併に反対した理由として高山町との際には「人口の差から合併すれば中心部が高山町となり、現在の吾平町中心部が廃れること」や「両町間の交流が乏しいこと」を、鹿屋市との際には「鹿屋市が当時財政再建団体であったこと」や「鹿屋町と合併した旧大姶良村の中心部が廃れたこと」を挙げています。

この他にも、垂水町(現在の垂水市)のうち旧新城村の根木原(ねぎばる)・桜町地区の住民が合併協議の際「鹿屋市と生活圏が完全に一体化している」ことを理由に鹿屋市への編入を希望。この結果、1955年1月10日に垂水町として合併した後1958年1月20日に編入を実施しました。桜町地区の名称は編入の際に「有武町」と変更されていますが、知的障害者援護施設の名称(桜町学園)として現存しています。

平成の大合併

2003年7月2日に垂水市・輝北町・吾平町との枠組みで、2005年1月の合併を目指し「大隅中央法定合併協議会」を設置。2003年12月22日には新市の名称を「大隅市」と決定。2004年1月には串良町も参加しました。

ところが、新市の名称に鹿屋市側から反対の声が上がり、2004年3月に新市名変更と合併枠組みの再検討を求める陳情が鹿屋市議会で採択されました。垂水市は財政難を理由に、鹿屋市側から合併協議会の離脱を求められ、2004年5月7日に合併協議会を離脱しました。

2004年7月1日に「大隅中央合併協議会」を改めて設置し、その一員として垂水市を除いた3町と合併協議を進めました。同年11月26日に1市3町は合併協定を調印し、2005年1月7日に県に廃置分合の申請書を提出。3月14日に県が決定書を交付し、同月30日に国から合併が告示され、2006年1月1日に新設合併しました。鹿児島県の自治体では初めて地域自治区を設けています(2009年まで)。なお、合併前の2005年12月には鹿屋市に縁のある人物(哀川翔・柴田亜衣・横峯さくら)が出演する合併告知コマーシャルが鹿児島県内のテレビ局で放送されました。

旧4市町の花は「地域の花」として指定されました。鹿屋地域はカンナ、串良地域はバラ、吾平地域はツワブキ、輝北地域はツツジ。

年表(近現代)

1871年8月29日(新暦) - 廃藩置県に伴い現在の鹿屋市全域が鹿児島県に属す。 1871年12月25日(新暦) - 廃藩置県後の府県合併に伴い都城県に属す。 1873年1月15日 - 都城県の廃止(初代宮崎県の設置)に伴い鹿児島県に属す。 1874年 - 鹿屋・高隈・大姶良・古江の各郵便局が業務開始。 1888年 - 肝属郡と南大隅郡の役所が垂水郷から鹿屋郷に移転。鹿屋が大隅の中心となるきっかけとなります。 1889年4月1日 - 町村制度施行により、現在の市域に相当する以下の村々が発足。西串良村(串良郷を東西に分割)を除いて藩政時代からの「郷(外城)」を引き継ぐかたちとなりました。

肝属郡鹿屋村・花岡村・大姶良村・高隈村・西串良村・姶良村・百引村 東囎唹郡市成村

1896年4月1日 - 郡区画改正に伴い、東囎唹郡市成村から囎唹郡市成村となります。 1897年2月 - 電信業務を開始。

県立鹿屋農学校(1925年)

1900年 - 鹿児島県農学校(現在の県立鹿屋農業高校)が鹿屋村に移転。 1901年 - 西原競馬場を開設。 1902年10月 - 電報・電話の業務を開始。 1912年12月31日 - 鹿屋村が町制施行、鹿屋町となります。 1915年7月11日 - 南隅軽便鉄道(1916年に大隅鉄道と改称、後の国鉄古江線→大隅線)のうち、高須 - 鹿屋間が開通。当時の鹿屋駅は向江町に設置されていました。

鹿屋町役場(1939年)

1916年4月 - 鹿屋町役場(後の初代鹿屋市庁舎)を現在の鹿児島銀行鹿屋支店の位置に設置。 1920年12月23日 - 大隅鉄道のうち、鹿屋 - 高山間が開通。 1921年8月11日 - 大隅鉄道のうち、高山 - 串良間が開通。 1923年 - 旧制中学校の県立鹿屋中学校(現在の県立鹿屋高校)が開校。 1923年12月19日 - 大隅鉄道のうち、高須 - 古江間が開通。 1929年2月 - 競馬場を札元に移転。 1932年5月15日 - 西串良村が改称・町制施行により串良町となります。 1933年2月16日 - 鹿屋町が町章(当時は「町マーク」と呼称)を選定。現在も鹿屋市章として使用されています。 1935年6月1日 - 大隅鉄道が国有化されています。 1935年10月 - 古江線のうち志布志 - 東串良間が開通。星塚敬愛園が開園。

鹿屋海軍航空隊本部(現在の第1航空群司令部)

1936年4月 - 鹿屋海軍航空隊が開隊されています。 1936年10月23日 - 古江東線の東串良 - 串良間が開通し、鹿屋 - 志布志間が開通。志布志線経由で宮崎方面へ鉄道のみで向かうことができるようになります。 1938年10月10日 - 古江線の改軌工事が完了。鹿屋駅が共栄町(現在の鹿屋市役所の位置)に移転します。

水害による姶良村(吾平町)の被害

1938年10月15日 - 台風襲来による大水害が発生。肝属川下流を中心に甚大な被害を受けます。 1941年5月27日 - 鹿屋町・花岡村・大姶良村が新設合併・市制施行により鹿屋市となります(初代)。 1942年5月 - 鹿屋市立図書館を当時の市役所内に開設。 1944年 - 鹿屋市立鹿屋工業学校(現在の県立鹿屋工業高校)を設置。 1945年9月 - 第二次世界大戦の終戦に伴い連合国軍が高須海岸(厳密には1km北の金浜海岸)から上陸。 1947年8月 - 向江町に市立図書館を開設。 1947年10月15日 - 姶良村が改称・町制施行により吾平町となります。 1948年3月 - 鹿屋警察署の前身となる自治体警察の鹿屋市警察が発足。 1949年6月 - 昭和天皇が鹿屋市内へ行幸されています。 1949年12月 - 鹿屋競馬場で市営競馬を実施。 1950年2月 - 大字を廃止し、「町」を設置。一例として「鹿屋市大字中名→鹿屋市北田町」となります。 1951年12月 - 現在のかのやイベント広場のある地点(鹿屋郷の地頭仮屋跡地)に2代目(1代前)の市役所庁舎が完成。 1955年1月20日 - 高隈村が鹿屋市に編入合併。 1956年4月1日 - 百引村・市成村が新設合併・町制施行により輝北町(所属郡は囎唹郡)となります。 1958年1月20日 - 垂水町新城の根木原・桜町地域を鹿屋市に編入。 1958年4月 - 市立鹿屋女子高校を設置。 1958年8月12日 - 北田交差点に鹿児島県では2番目、鹿屋市内では初の信号機を設置。 1959年11月 - 財政再建団体の指定を外れます。 1960年11月10日 - テレビ放送開始(鹿屋中継局の開局)。 1961年4月13日 - 古江線が垂水市海潟まで開通。 1963年 - 鹿屋競馬場を廃止。 1963年8月 - 祇園祭(鹿屋夏祭り)に「ばか踊り」が登場。30数年に渡り親しまれます。 1967年2月 - 当時の鹿屋市の花を「カンナ」、木を「クスノキ」と制定します。 1967年3月 - 高隈ダムが完成。 1972年4月1日 - 北田交差点が鹿児島県内では初のスクランブル交差点となります(現在は一般的な交差点)。 1972年5月 - 鹿屋市旗を制定。2006年以降の鹿屋市にも引き継がれています。 1972年9月9日 - 大隅線が全線開通。 1976年6月 - 集中豪雨により鹿屋市中心部が冠水。 1977年3月 - 鹿屋市文化会館が完成。中央公園内に小動物園が完成。 1978年4月 - 市立鹿屋看護専門学校を設置。 1981年5月 - 鹿屋市立図書館と視聴覚センターを現在地に設置。 1981年10月1日 - 鹿屋体育大学が開学(開校は1984年4月)。 1986年9月9日 - 国立大隅少年自然の家が開所。 1987年3月 - 国鉄大隅線が廃線。 1991年5月7日 - 旧鹿屋駅のあった地点に市役所本庁舎を移転。同月27日に市制施行50周年を迎えます。 1992年3月25日 - 国道220号鹿屋バイパスが全線開通。 1993年3月 - 霧島ヶ丘公園内に『かのやバラ園』を開園。 1993年7月 - 鹿屋航空基地史料館を開設。 1995年4月 - 水道事業を串良町と共同で実施(鹿屋串良水道企業団の業務を開始、鹿屋市上下水道部の前身)。 1996年6月 - 肝属川の水量を分担させる役割を担う『鹿屋分水路』が完成。 2003年11月 - バラの品種のひとつとして『プリンセスかのや』の名称が採用されています。 2006年1月1日 - 鹿屋市・輝北町・串良町・吾平町が新設合併し、鹿屋市となります(2代目)。旧輝北町・串良町・吾平町は地域自治区として設置されました。 2006年4月25日 - かのやバラ園の規模を大幅に拡大させて開園。 2007年4月1日 - リナシティかのや(鹿屋市市民交流センター)を開設。 2010年1月1日 - 地域自治区としての輝北町・串良町・吾平町を廃止。旧3町の大字を「(地域自治区)○○町(大字)○○」から「(大字)○○町○○」扱いに変更。 2014年12月21日 - 東九州自動車道鹿屋串良JCTおよび大隅縦貫道(串良鹿屋道路)が開通。

人口の推移

1941年 鹿屋市制施行(鹿屋町、花岡村、大姶良村が合併) 1947年 国勢調査 人口62,497人 13,633世帯 1950年 国勢調査 人口63,506人 13,757世帯 1955年 高隈村を編入 1958年 垂水町新城の根木原、桜町を編入 1960年 国勢調査 人口72,498人 17,541世帯(市域拡大のため) 1970年 国勢調査 人口66,995人 20,566世帯 1980年 国勢調査 人口73,242人 25,197世帯 1990年 国勢調査 人口77,655人 28,411世帯 1998年 人口8万人を突破 2005年 国勢調査 人口81,471人 33,929世帯 2006年 1月1日合併時 人口106,462人 42,992世帯(市域拡大のため)

旧鹿屋市の歴代市長

ここでは旧鹿屋市(2005年まで)の歴代市長を掲載します。

氏名就任年月日特記事項
竹内竹丸1941年8月13日在任中の1943年10月10日に死去。
2永田良吉1943年11月12日1946年10月15日公職追放により退任。
衆議院議員と兼任。鹿屋市初の名誉市民(1964年11月)
3田平藤一1947年4月6日1期。
4牧窪秀吉1951年4月27日1期。在任中の1952年9月7日に死去。
5児島静男1952年10月27日1期。
6-7永田良吉1956年10月7日2期。
8-9塩田兼雄1964年10月7日2期。在任中の1969年5月19日に死去。
10-12平田準1969年6月29日3期。名誉市民(1986年9月)
13-15蒲牟田喜之助1981年6月29日3期。名誉市民(1996年2月)
16浅井隼人1993年6月29日1期。在任中の1994年4月1日に死去。
17-19山下榮1994年5月15日3期。旧鹿屋市廃止に伴い2005年12月31日に任期満了。
行政

第2代市長・嶋田芳博(2010年-2014年)

市長:中西茂(2014年2月5日 - )

氏名就任年月日特記事項
市長職務執行者有留忠男2006年1月1日旧・輝北町長
1山下榮2006年2月5日旧・鹿屋市長(1994年5月15日-2005年12月31日)
2嶋田芳博2010年2月5日
3中西茂2014年2月5日

鹿屋市職員は2007年4月1日時点で1,021人で、平均年齢は一般行政職が42.7歳、技術労務職が46.8歳となります。

市の行政機関

市役所

鹿屋市役所

鹿屋市役所庁舎は大隅線鹿屋駅の跡地にあり、旧鹿屋市時代の1991年より供用されています。分庁舎(上下水道部)は旧鹿屋市・串良町が共同で運営していた「鹿屋串良水道企業団」を継承するかたちで寿に設置されています。

鹿屋市役所分庁舎(上下水道部)

総合支所

輝北総合支所 串良総合支所 吾平総合支所

2006年の市町村合併に併せて、町役場を引き継ぐかたちで総合支所が設置されました(2009年までは正式には「地域自治区の事務所」扱い)。串良総合支所については旧町役場が老朽化のために2009年に解体され、同年9月に支所機能を旧串良町保健センターへ移転しています。

輝北総合支所

串良総合支所(2代目)

串良総合支所(初代、2009年解体)

吾平総合支所

出張所

高隈・花岡・大姶良・高須・市成には出張所が設置されています。

高隈出張所

花岡出張所

大姶良出張所

市成出張所

県の行政機関

大隅地域振興局

鹿屋警察署

鹿児島県大隅地域振興局(打馬) - 戦前の肝属郡役所時代から引き続き打馬に所在します。鹿児島県庁も参照。 鹿児島県警察:鹿屋警察署(寿) - 管轄区域は鹿屋市・垂水市。 大隅肝属地区消防組合(新川町) - 管轄区域は鹿屋市・東串良町・錦江町・南大隅町・肝付町。

国の行政機関

「西原」と記載されている機関のうち、国道維持出張所を除き、4丁目の合同庁舎内に入居しています。

法務省:鹿児島地方法務局鹿屋支局(西原) 財務省:鹿屋税務署(西原) 厚生労働省:鹿屋公共職業安定所(北田町) - 2007年に西原の合同庁舎より移転。 厚生労働省:鹿屋労働基準監督署(西原) 国土交通省:九州地方整備局大隅河川国道事務所 - 大隅河川国道事務所は肝付町に所在します。

鹿屋出張所(王子町) 鹿屋国道維持出張所(西原)

林野庁:九州森林管理局大隅森林管理署(下堀町) 裁判所:鹿児島地方裁判所鹿屋支部 (打馬) 裁判所:鹿屋簡易裁判所(打馬) 日本年金機構:鹿屋年金事務所(寿)

財政

平成18年度(2006年度)の財政力指数は0.47。経常収支比率は91.4%と標準より高い数値となります。市債残高(平成17年度決算で480億2,800万円)も平成15年度(2003年度)以降上昇傾向にあり、基金(平成17年度決算で110億1,600万円)の切り崩しも続いています。

平成18年度一般会計では、歳入が451億6,216万円、歳出が437億3,025万円となり、いずれも前年比16 - 17億円の減少となりました。平成19年度の当初予算は379億4,800万円と、13.1%ほど更に減少することになります。

歳入のうち自主財源は約170億円、このうち市債の発行額は46億8,180万円、市税は95億8,932万円(21.2%)となります。依存財源の中心となるのは地方交付税と国庫支出金で、歳入額の40%ほどを占めます。

歳出のうち義務的経費が約200億円で46%と約半数を占めます。このうち人件費が80億2,452万円(18.4%)、公債費は50億6,861万円(11.6%)となります。

給料

2007年4月1日時点の平均給料(月額)は鹿屋市長が90万円、一般行政職が33万9,100円、技術労務職が35万2,600円。初任給は大学卒・高校卒ともに14万0,100円となります。

産業

第一次産業

2000年の国勢調査時の就業人口の割合は14.8%。減少傾向にあります。農業・畜産が盛んです。特に、高隈ダムから農業用水をひいて大規模なかんがい事業を行なった笠野原台地では、様々な農作物が栽培されておりサツマイモや落花生などの産地となっています。 吾平町や串良町など沖積平野部では米の早期栽培も行われています。2005年時点の食料自給率は112%。

農林水産省による2005年の統計では農業産出額はおよそ459億3,000万円で、日本の市町村別では8位となり九州地方では宮崎県都城市(3位、約679億円)、鹿児島県南九州市(7位、約465億円)に次ぐ。豚や肉用牛の産出額・飼養頭数は宮崎県都城市についで2位、サツマイモは収穫量で2位となります(鹿児島県内の市町村別では左記の他にゴボウ、ニンジン、サトイモ、ブロッコリーが産出額で、乳用牛が飼養頭数・生乳生産量で最大となる)。

漁業はカンパチの水揚げ量が垂水市に次いで日本国内で2位となります。なお、鹿児島湾沿岸地域はカンパチの養殖が盛んで、そのシェアは日本国内で半数に達します。

第二次産業

小鹿酒造本社工場

2000年の国勢調査時の就業人口の割合は22.6%。鹿屋内陸工業団地や市街地南部の工業地区を中心に電子工業、繊維製造業、食品加工業などの多くの事業所があり、雇用の創出や地域の活性化に貢献しています。おもな事業所としては日本モレックス鹿児島工場、九州化工(日本最大のクエン酸メーカー)があります

第三次産業

プラッセだいわ鹿屋店(鹿屋市最大の商業施設)

鹿児島銀行鹿屋支店

2000年の国勢調査時の就業人口の割合は62.6%。国道220号の鹿屋バイパス、旧国道220号の県道68号の沿線にロードサイド店舗が多数出店していて、鹿屋市における商業の中心となっています。特に家電量販店は鹿屋バイパス沿いに(西から)ケーズデンキ、エディオン鹿児島鹿屋店(カコイエレクトロのエリアフランチャイズ店舗、旧ベスト電器)、ヤマダ電機、エディオン鹿屋店(所在地は肝付町、鹿児島県内唯一の直営店、鹿屋バイパスの起点にある)が出店しています。鹿児島県内を拠点とするチェーン店(タイヨー、だいわ、ニシムタなど)は鹿屋市内に大規模店舗を出店しています。

金融機関については地区の節にある通り、市街地中心地区を中心に鹿屋市の拠点となる店舗を設置しています。ただし、鹿児島興業信用組合「鹿屋支店」(旧:鹿児島県信用組合本店)や鹿児島相互信用金庫「鹿屋支店」は寿地区にあります。なお、宮崎銀行の鹿屋支店は日本勧業銀行から引き継いだ店舗で、同行としては宮崎県外初の店舗でもあります。

商工団体については旧鹿屋市は鹿屋商工会議所、旧輝北町・串良町・旧吾平町はかのや市商工会がそれぞれ管轄しています。

鹿屋市に本社を置く主要企業

きたやま 小鹿酒造 財宝(財寶温泉。登記上本店は垂水市) 大海酒造(2012年7月に株式会社に組織変更) テイエム技研 フェスティバロ

鹿屋市内にかつて存在した主要企業

桜デパート 丸栄建設

地域

教育

2015年度現在、鹿屋市内には高等学校が6校、中学校が12校、小学校が24校設置されています。特別支援学校については大浦町(西原地区)に鹿児島県立鹿屋養護学校が置かれています。

輝北小学校は旧輝北町の5小学校を統合し、2011年に開校した

2011年度現在の児童・生徒数(小中学生)は9,546人。長期的に児童・生徒数が減少することが予想されていることから、鹿屋市教育委員会では小規模校の統廃合を主とする学校規模の適正化を進めています。2011年6月に策定された学校再編実施計画書では、2013年度までに「神野小学校の吾平小学校への統合」と「花岡地区内の鶴羽・古江・菅原小学校および花岡中学校を、小中一貫校として統合」することが掲げられ、2013年4月に実行されました。旧輝北町については合併前から議論が進められていたこともあり、他地域に先駆けて2011年にそれぞれ1校(小学校は百引小学校敷地、中学校は市成中学校敷地)に統合されました。

小中学校については「鹿屋市学校間交流ホームページ」( )内に公式ウェブサイトが設けられています。

大学

鹿屋体育大学

白水町(花岡地区)に国立大学の鹿屋体育大学が所在します。体育大学としては唯一の国立大学です。1981年に設置、1984年より学生の受け入れを開始し現在に至ります。

専門学校

鹿屋市立鹿屋看護専門学校

高等学校

鹿屋市には6の高等学校が所在します。串良商業高校を除き、全て旧鹿屋市の地域に立地します。公立高等学校の普通科に設定される通学区域(学区)は大隅学区で、大隅半島の4市5町に所在する高校が学区内となります(鹿児島県高等学校一覧#大隅学区を参照)。旧輝北町(旧市成・百引中学校校区)は姶良・伊佐学区にも属します。

公立

鹿屋女子高等学校

鹿児島県立鹿屋高等学校     鹿児島県立鹿屋工業高等学校  鹿児島県立鹿屋農業高等学校 鹿児島県立串良商業高等学校  鹿屋市立鹿屋女子高等学校

私立

鹿屋中央高等学校  

中学校

2005年に新築された第一鹿屋中学校の校舎

2015年度現在、鹿屋市には12の中学校(全て市立)が所在します。

旧輝北町内の市成・百引中学校は2011年4月に輝北中学校(市成中学校敷地内)へ統合されました。花岡中学校には敷地内に花岡小学校(鶴羽・古江・菅原小学校を統合)が建設され、2013年より小中一貫校 花岡学園として再編されました。高須中学校は2015年に第一鹿屋中学校・大姶良中学校へ統合されました。

鹿屋市立鹿屋中学校 鹿屋市立第一鹿屋中学校 鹿屋市立鹿屋東中学校 鹿屋市立田崎中学校 鹿屋市立大姶良中学校 鹿屋市立高隈中学校

鹿屋市立花岡中学校(花岡小学校を併設、通称:小中一貫校 花岡学園) 鹿屋市立輝北中学校 鹿屋市立串良中学校 鹿屋市立細山田中学校 鹿屋市立上小原中学校 鹿屋市立吾平中学校

小学校

2013年に開校した小中一貫校 花岡学園(花岡小学校・中学校)

2015年度現在、鹿屋市内には24の小学校(全て市立)が所在します。2011年度時点で古江・菅原・高須・浜田・南・高隈・鶴峰・神野の7小学校は複式学級を有していました(古江・菅原・神野は2013年、浜田は2015年をもって閉校)。

旧輝北町内の小学校(百引・平南・市成・高尾・岳野)は2011に輝北小学校(百引小学校敷地内)に統合。岳野小学校は旧輝北町の時代(1990年)に休校とされていて、鹿屋市として児童を受け入れることのないまま閉校しました。花岡地区内の小学校(鶴羽・古江・菅原)は2013年に花岡小学校(花岡中学校敷地内)に統合され、小中一貫校 花岡学園として再編されました。旧吾平町では神野小学校が2013年をもって吾平小学校へ統合されました。高須地区の浜田小学校は2015年をもって大姶良小学校へ統合されました。

鹿屋市立鹿屋小学校 鹿屋市立祓川小学校 鹿屋市立東原小学校 鹿屋市立笠野原小学校 鹿屋市立寿小学校 鹿屋市立寿北小学校 鹿屋市立田崎小学校 鹿屋市立西原小学校 鹿屋市立西原台小学校 鹿屋市立花岡小学校(花岡中学校に併設、通称:小中一貫校 花岡学園) 鹿屋市立高須小学校 鹿屋市立野里小学校

鹿屋市立大姶良小学校 鹿屋市立南小学校 鹿屋市立西俣小学校 鹿屋市立高隈小学校 鹿屋市立大黒小学校 鹿屋市立串良小学校 鹿屋市立細山田小学校 鹿屋市立上小原小学校 鹿屋市立輝北小学校 鹿屋市立吾平小学校 鹿屋市立鶴峰小学校 鹿屋市立下名小学校

閉校された学校

現・鹿屋市が発足した2006年以降に閉校した学校を記載します。

鹿屋市立市成中学校(2011年閉校) 鹿屋市立百引中学校(2011年閉校) 鹿屋市立高須中学校(2015年閉校) 鹿屋市立市成小学校(2011年閉校) 鹿屋市立高尾小学校(2011年閉校) 鹿屋市立百引小学校(2011年閉校) 鹿屋市立平南小学校(2011年閉校) 鹿屋市立岳野小学校(休校のまま2011年閉校) 鹿屋市立鶴羽小学校(2013年閉校) 鹿屋市立古江小学校(2013年閉校) 鹿屋市立菅原小学校(2013年閉校) 鹿屋市立神野小学校(2013年閉校) 鹿屋市立浜田小学校(2015年閉校)

文化施設

リナシティかのや

鹿屋市立図書館と鹿屋市立視聴覚センター

鹿屋市市民交流センター(リナシティかのや) 鹿屋市文化会館 鹿屋市立図書館 鹿屋市立視聴覚センター 中央公民館 花岡地区公民館 地区学習センター(大姶良・高須・田崎・西原・東) 鹿屋市民族館

スポーツ・健康施設

高隈と健康プラザ

鹿屋市体育館 鹿屋運動公園(西原陸上競技場) 県民健康プラザ健康増進センター - 県民健康プラザ鹿屋医療センター(旧県立鹿屋病院)に併設。

交通

鹿屋市には鉄道がないため、自家用車・バスが専らの交通手段となります。

空港

最寄り空港は霧島市にある鹿児島空港。鹿屋バス停留所(リナシティかのや前) - 鹿児島空港間はリムジンバスでおよそ1時間40分(一般道経由、高速道経由は15分ほど短縮される)。自家用車では高速道路で1時間14分、一般道(国道504号経由)で1時間40分ほど掛かります。

港湾

鹿屋港

鹿屋港(古江港) 高須港

道路

鹿屋市では長らく高速道路交通網の整備に遅れが生じていましたが、2014年12月21日に東九州自動車道 鹿屋串良JCT-曽於弥五郎IC間と大隅縦貫道(串良鹿屋道路)が開通し、県都の鹿児島市まで高速道路で連結されました。

東九州道に施工命令が出された当時の『広報かのや』1999年6月号に掲載された開通時期は、鹿屋串良IC(仮称)から末吉財部ICまでが2007年度、志布志ICから鹿屋串良IC(仮称)までが2008年度であったのですが、実際の起工は前者が2007年3月21日、後者が2007年12月16日のこととなりました。

高速道路

高規格幹線道路(高速自動車国道)

鹿屋串良JCT。大崎・志布志方面は建設中です。
東九州自動車道? (37) 鹿屋串良JCT

東九州道が市内に開通するまでの最寄りインターチェンジ (IC) は、都城IC(宮崎自動車道)または国分IC(東九州自動車道)。また、資料によっては溝辺鹿児島空港IC(九州自動車道)を案内するものもありました。

地域高規格道路

大隅縦貫道? (37)鹿屋串良JCT - 細山田IC - 東原IC - 笠之原IC

鹿屋市を起点とし肝属郡南大隅町に至る、延長約50kmの地域高規格道路。その内、鹿屋串良JCTから国道220号鹿屋バイパスまでを結ぶ串良鹿屋道路が2014年12月21日に供用開始しました。

一般国道

鹿屋バイパス(札元)

鹿屋市内には東西を貫く国道220号、南西-北東方向に貫く国道269号、中心市街地から北進する国道504号、計3本の一般国道が通ります。国の直轄道路(指定区間)は国道220号のみで、国道269号・504号は県が管理します。吾平町域には国道は通過していません。

国道220号 - 志布志方面(東)から串良・鹿屋を通過し垂水・霧島市方面(北西)に至ります。鹿屋市街地は鹿屋バイパスで避けます。古江バイパスは一部のみ開通。路線バスは旧道経由。 国道269号 - 南大隅方面(南西)から鹿屋市街地、笠野原台地を通過し都城方面(北東)に至ります。現道の他に西原バイパスが整備されています。 国道504号 - 中心市街地(北田交差点)から高隈・輝北を通過し霧島市方面に至ります。鹿児島空港へのアクセス路。

主要地方道

県道68号鹿屋吾平佐多線(国道220号旧道)

「鹿児島県の県道一覧」も参照

県道72号垂水大崎線を除いて概ね2車線道路に整備されています。

鹿児島県道64号大崎輝北線 - 名称通り大崎町中心部と輝北町を結ぶ路線。県道72号も大崎町と輝北町を結ぶが、未改良区間が多く残されています。 鹿児島県道67号高隈串良線 - 笠野原台地の北西 - 南東方向を結ぶ路線。 鹿児島県道68号鹿屋吾平佐多線 - 中心市街地・笠野原から吾平を通過し南大隅方面に至る路線、国道220号旧道(寿地区)、鹿児島湾沿いを通る路線の3路線があります 鹿児島県道71号垂水南之郷線 - 垂水市街地から高峠を通過し、旧鹿屋市・輝北町境付近で国道504号にいったん合流。鹿屋市輝北町市成で国道504号とわかれ、曽於市大隅町へ向かう路線。 鹿児島県道72号垂水大崎線 - 垂水市の牛根地区から牛根峠を越え、輝北町百引を通過、大崎町野方に至る路線。未改良区間が多く残ります。 鹿児島県道73号鹿屋高山串良線 - 鹿屋市浜田町から大姶良地区・吾平町、肝付町(高山)を通過し串良町に至る路線。

1993年までは「県道69号鹿屋福山線」(現国道504号)が存在しました。

自転車・歩行者専用道路

フィットネスパース(永野田駅跡)

フィットネスパース - 1987年に廃線となった大隅線のうち、旧鹿屋市の区間の一部(荒平駅から永野田駅まで)を整備しました。 県道東串良吾平自転車道線 - 肝属川・姶良川沿いです。

一般国道利用による主要地への所要時間

九州幹線道路調査事務所の道路時刻表に基づきます。

渋滞を考慮した場合、特に鹿児島市への所要時間は大きく異なります。また、2004年時点のデータを用いているため、宮崎市の道路事情の改善(加納バイパス・天満バイパスの開通)は考慮されていません。

都市所要時間
垂水市37分
志布志市志布志町39分
曽於市大隅町岩川44分
都城市1時間2分
桜島港(桜島フェリー)1時間4分
霧島市国分1時間8分
鹿児島空港1時間36分
鹿児島市2時間1分
宮崎市2時間11分

バス路線

一般路線バス(2011年撮影)

鹿児島中央駅-鹿屋間直行バス

かのやくるりんバス

鹿屋停留所(リナシティかのや前)が大隅半島のバス交通の拠点となっています。2006年11月に大隅交通ネットワーク(当時)が事業縮小に伴いバス路線の一部を廃止したことや鹿屋バスセンターの取り壊しといった要因から、バス事情は悪化傾向にあるといえます。鹿屋市はこれを受けて鹿屋市コミュニティバスの運営を開始していて、2007年9月からは市街地巡回バスとして「かのやくるりんバス」の運行を開始しています。

バス路線の詳細(時刻など)については鹿屋市公式ウェブサイト内の「鹿屋市の公共交通機関」( )を参照。

三州自動車(いわさきグループ)

2011年12月に事業者名が大隅交通ネットワークから変更されました。鹿屋市内において「三州自動車」の名称で運行するのは1964年以来のことです。なお、三州自動車の「鹿屋営業所」は住所上、隣の肝付町に位置します。

垂水・志布志間(国道220号の旧道を通る)は1時間に1-2本、高山(肝付町。吾平を経由)間は1時間に1本、都城・根占(南大隅町)間は1-2時間に1本の間隔で運行されています。

垂水市 - 鹿屋市 - 志布志市 エアポートシャトル(鹿児島空港リムジン) - 一般道(国道504号・霧島市街地)経由と高速道経由の2系統があります

鹿屋市コミュニティバス

運行主体は三州自動車です。

廃止路線代替バス - 三州自動車(旧 鹿児島交通→いわさきコーポレーション→大隅交通ネットワーク)が廃止した路線の一部を引き継ぐ。 くしらふれあいバス - 2002年に串良町として運行開始。 かのやくるりんバス - 市街地(西原・寿)を8の字に結びます。西回り・東回り計6本。2012年4月1日より輝北地区に3路線、吾平地区に2路線運行開始。 鹿児島中央駅 - 鹿屋間直行バス - 2009年12月運行開始。垂水フェリーを経由します。1日6本。 鹿児島空港 - 鹿屋空港バス - 2015年10月より高速道路経由を新設し2路線となります。高速道路経由は1日4本。従来の高隈・輝北・牧之原・霧島市役所経由は1日8本。

鉄道

かつての鹿屋駅(1939年)

現在の最寄り駅は宮崎市方面につながる志布志駅(日南線)ですが、実用的な最寄り駅は鹿児島中央駅(九州新幹線・鹿児島本線・指宿枕崎線)もしくは国分駅・都城駅(日豊本線)。いずれも自家用車では駅まで1時間以上掛かります。鹿児島中央駅へは1日6本の直行バスが運行されていて、2時間ほどで到着します。志布志駅および都城駅へは三州自動車の路線バス(普通のみ)の利用となります。

かつては国鉄大隅線(1987年廃止)が通っていて、鹿屋市内には中心駅鹿屋をはじめとする10の駅がありました。鉄道の歴史については大隅線の前身である大隅鉄道も参照。

串良駅 - 下小原駅 - (肝付町内に2駅) - 吾平駅 - 永野田駅 - 大隅川西駅 - 鹿屋駅 - 大隅野里駅 - 大隅高須駅 - 荒平駅 - 古江駅

鹿児島市までの交通手段

県庁所在地の鹿児島市へは、隣の垂水市にある垂水港から鴨池・垂水フェリー(大隅交通ネットワーク)で鹿児島湾を横断し鹿児島市の鴨池港へ向かうルートが最短で、所要時間は最短で70分ほどです(待ち時間なし、直行バスでは約2時間)です。桜島フェリーを利用します(国道220号・224号経由)ルートもあります。陸路のみでは高速道路経由で1時間15分(鹿屋串良JCT - 鹿児島IC間の所要時間)、一般道では2時間以上掛かり、隣県(宮崎県)の県庁所在地である宮崎市への所要時間(高速道路経由で1時間22分)と大差が無いです。

通信

電信電話

市外局番は、旧輝北町域の099(志布志MA)を除いて0994(鹿屋MA)。旧鹿屋市域は30 - 31番・40 - 49番・51番、旧吾平町域は58番、旧串良町域は62番と63番、旧輝北町域は486番と485番を市内局番として使用します。

新聞

南九州新聞社本社

南日本新聞社鹿屋総局

大隅半島を対象とした夕刊紙の南九州新聞を始めとして、鹿児島県の地方紙の南日本新聞や全国紙を購読できます。

鹿屋市内に拠点を置く新聞社

新聞社、所在地の順で表記します。

南九州新聞社 - 上谷町 南日本新聞社鹿屋総局 - 札元1丁目 西日本新聞社鹿屋支局 - 寿8丁目 朝日新聞鹿屋通信局 - 向江町 読売新聞社鹿屋通信部 - 札元1丁目 毎日新聞社鹿屋通信部 - 古前城町 鹿児島建設新聞鹿屋支局 - 新川町

地上波放送

南日本放送鹿屋支社

鹿児島テレビ鹿屋支社

鹿屋市内に拠点を置く放送局

鹿屋市を拠点とする放送局として、コミュニティ放送局のかのやコミュニティ放送(FMかのや)があり、輝北町と吾平町の一部を除く地域で聴取できます。FMかのやはおおすみ半島コミュニティ放送ネットワーク(おおすみFMネットワーク)を構成する放送局のひとつで、FMきもつき(肝付町が対象地域)・FM志布志(志布志市が対象地域)・FMたるみずです(垂水市が対象地域)でもほぼ同一の内容が放送されています。この他にも県域放送局のうちNHK鹿児島放送局・南日本放送 (MBC) ・鹿児島テレビ放送 (KTS) が鹿屋市内に支社を設置しています。

リストは放送局、所在地の順で表記します。

かのやコミュニティ放送 - 西原4丁目(おおすみFMネットワークの本部も同一地点にある) NHK鹿屋通信部 - 札元1丁目 南日本放送鹿屋支社 - 寿4丁目 鹿児島テレビ鹿屋支社 - 寿7丁目

受信状況

鹿屋中継局(地上デジタル放送)

AM放送については霧島市隼人町にある隼人送信所を、テレビ・FM放送については鹿屋中継局の受信を中心とします。ただし、テレビ・FM放送については地域により受信状況は大きく異なり、鹿児島湾沿岸では鹿児島親局や指宿中継局を、輝北町では志布志中継局・末吉中継局を中心に受信しています。

上記の中継局の電波が届きにくい地域を対象として、鹿屋市内には輝北中継局(NHKのみ)、鹿屋西中継局(アナログはKYTが未設置で「鹿屋郷之原中継局」と呼称)、鹿屋田淵中継局(KKB/KYT除く、デジタルは開局予定なし)が設置されています。ただし、地上波放送のデジタル化に伴い、輝北町と吾平町の神野地区を中心に新たな難視聴地域が発生しています。

鹿屋市は宮崎県のテレビ・FM局の親局のある鰐塚山からの電波が容易に届くことから、大部分の地域では宮崎県の放送局も視聴・聴取が可能です。

テレビチャンネル・ラジオ周波数

AMラジオは隼人送信所、テレビ放送・FMラジオ放送は鹿屋中継局を記載しています(MBCラジオはAM・FM双方の周波数を記載)。

リモコンキーIDテレビ放送局名デジタルアナログラジオ放送局名周波数
1MBC南日本放送436南日本放送(MBCラジオ)1107kHz/94.2MHz
2NHK鹿児島教育172NHK鹿児島ラジオ第1576kHz
3NHK鹿児島総合224NHK鹿児島ラジオ第21386kHz
4KYT鹿児島讀賣テレビ4925エフエム鹿児島79.0MHz
5KKB鹿児島放送4131NHK鹿児島FM放送84.1MHz
8KTS鹿児島テレビ放送4733FMかのや77.2MHz

郵政

鹿屋郵便局

鹿屋郵便局が中心となります。鹿屋市全体では47の郵便局(2007年現在、簡易郵便局含む)が設置されていて、郵政民営化前の集配郵便局としては鹿屋郵便局の他、高隈郵便局と百引郵便局の3箇所がありました。

名所・旧跡・観光スポット・祭事・催事

2006年の合併前に各市町が独自で観光施設を設置していたため、連携が上手くいっていないのが現状です。2007年現在では、霧島ヶ丘公園の「かのやばら園」を軸に観光事業を展開しています。

観光

鹿屋航空基地史料館

鳴之尾牧場

小塚公園の慰霊塔

輝北ウインドファーム

鹿屋航空基地史料館 - 旧日本海軍時代から現在の海上自衛隊に至るまでの歴史を展示。特攻隊に関する展示も豊富。入場無料。 霧島ヶ丘公園 - 錦江湾に面した丘陵地帯にあり、開聞岳や桜島の雄姿を楽しむことができます。広大な土地に日本屈指のバラ園、アスレチック、バンガローなどが備わっています(一部有料)。バラ園は1993年にオープンし、2006年4月25日に規模を大幅に拡大してリニューアルしました。 国立大隅少年自然の家 大隅湖(高隈ダム) アジア・太平洋農村研修村 鳴之尾牧場 慰霊塔 - 串良町の平和公園と今坂町の小塚公園に特別攻撃隊員の慰霊のためにそれぞれ設置。 輝北うわば公園

輝北天球館 - 旧輝北町は「星空日本一の町」とされていました。 輝北ウインドファーム(風力発電所)

アクアゾーンくしら(夏季営業・流水プール) 吾平山上陵 - 神武天皇の父母の陵墓といわれます。 吾平自然公園 ウォーターパール館 - 旧吾平町として合併直前の2005年12月にオープン。 九州自然歩道 県立大隅広域公園 吾平町鉄道資料館(旧大隅線吾平駅跡)

祭事・催事

かのや夏祭りの総踊りです(2007年)

かぎ引き祭りです(2月) 棒踊りです(3月) エアーメモリアルinかのや(4 - 5月) - 鹿屋航空基地を中心に実施。 かのやばらまつりです(5月、11月) - 霧島ヶ丘公園で実施。 マリンフェスタinかのや(7月、海の日) 鹿屋夏祭りです(7月下旬) - 永年「バカ踊り」として親しまれていましたが、「バカ」という言葉に批判が出たため、「鹿屋ハンヤ踊り」と改めた後、2000年代に「曽の国火祭り」と名称に改められました。 納涼花火大会(7月下旬) - 永年鹿屋航空基地で実施されていましたが、近年では鹿屋商工会議所周辺から打ち上げられています。 サンロード鹿屋駅伝大会(10月下旬) 農業まつりです(11月下旬) 鹿屋市秋まつりです(11月下旬)

鹿屋市にゆかりのある有名人

※五十音順

政治

網屋信介(衆院議員、元メリルリンチ日本証券副会長) 有川清次(元衆院議員) 橋口隆(元衆院議員) 森山裕(衆院議員) 横峯良郎(参院議員、ゴルフキャディー、実業家)

経済

永田文治(鹿児島銀行取締役頭取) 堀之内九一郎(生活創庫社長) 前村哲路(ユニー社長)

学術

文化

朝倉景龍(画家) 有村肯弥(女優・演出家) 今掛勇(アニメーター) 井之上南岳(書家) 入佐美南子(洋画家) 大石英司(作家) 桂竹丸(落語家) 久保禎(作曲家) 芹川藍(女優・演出家) 鳥取政昭(洋画家・二科会評議員) 中山智幸(作家) 福元正實(作家) 吉見マサノヴ(作家) 和田勉(演出家。小学校途中で三重県松阪市より転居して来た) 繁昌良司(写真家)

芸能

哀川翔(俳優)※出生地は徳島県 英明(ものまねタレント) 国生さゆりです(女優) 南州太郎(タレント) 吉満涼太(俳優) 黒木香(元AV女優) 豊丸(元AV女優) 瀬下豊(天竺鼠) 鹿屋修司(タレント) サンシャイン池崎(お笑いタレント)

マスコミ

小原茂(元アナウンサー・NHK熊本放送局放送部長) 末永安佳梨(アナウンサー・MBC南日本放送)※出生地は南さつま市 立元幸治(放送プロデューサー、元NHK局長) 蛭川雄二(アナウンサー・KYT鹿児島讀賣テレビ) 前原さとみです(パーソナリティ・おおすみ半島コミュニティ放送ネットワーク) 前原智子(アナウンサー・MRO北陸放送) 村川裕(アナウンサー・KKB鹿児島放送) 早稲田裕美子(MBCタレント)

スポーツ

梅内忍(騎手・調教師) 香妻琴乃(プロゴルファー) 郷原洋行(騎手・調教師) 柴田亜衣 (水泳選手)※福岡県生まれ、徳島県出身 瀬戸口勉(騎手・調教師) 田中英雄(プロサッカー選手、ヴィッセル神戸)※熊本県出身 錦洋幸治(関取・元前頭筆頭) 前田大和(プロ野球選手、阪神タイガース) 幸英明(騎手) 八代俊二(元WGPライダー、ジャーナリスト) 横峯さくら(プロゴルファー) 義英真(騎手) 吉永正人(騎手・調教助手・調教師) 吉永良人(騎手・調教助手)

脚注・出典

^ a b c アメダス鹿屋における平年値(年・月ごとの値) ^ 広報かのやの記事(2006年1月13日号) (PDF) 記録的な大雪と記事では紹介されています。撮影日の最高気温は5.7度で、12月としては当時、観測史上2番目に低い日でありました。 ^ Noritaka, Yagasaki (1997). Japan Geographical Perspectives on an Island Nation. Tokyo, Japan TEIKOKU-SHOIN. pp.?p. 15. ISBN?-4807151134.? 図では日本国内を北海道・日本海側・太平洋側・南西諸島の4地区に分類していて、鹿屋市は太平洋側に含まれます。太平洋側は更に5分割されており鹿屋市は「夏に降雨が集中し冬は暖かい」地域に含まれています。 ^ 吉野正敏「生気候による日本の地域区分 (PDF) 」『地球環境』国際環境研究協会、第8巻第2号、2003年、123頁。九州型気候と南海型気候の名称はありませんが下記の「宮崎の地理(8)」で補充可能。 ^ 横山淳一「宮崎の地理(8)」『みやざきの自然』∞の会(はちにんのかい)、第9号、1994年5月。関口武の気候区分の名称はありませんが上記の「生気候による日本の地域区分」で補充可能。 ^ アメダス鹿屋における年ごとの値 ^ アメダス鹿屋における観測史上1~10位の値 ^ 鹿児島市における平年値(気温)・宮崎市における平年値(気温)。 ^ 国土交通省『UJIターン支援サイト』 鹿屋市中心部では積雪日数がゼロとされています。 ^ 直近では2010年12月31日、2005年12月22日。 ^ アメダス輝北における平年値(年・月ごとの値) ^ あれから33年・あれから15年 鹿屋市大風水害の記録(広報かのや2008年6月13日号) (PDF) ^ 『鹿屋市史 下巻(1995年版)』205-207頁。 ^ 本町・朝日町・大手町・西大手町の4町は「○○まち」、その他は全て「○○ちょう」と読みます。 ^ 寿町は寿と札元に分割され「寿1丁目」「札元1丁目」などとなっています。 ^ 旧3町の大字の名称が変更になります (PDF) 広報かのや2009年11月13日号、22頁。 ^ リナシティかのやとその隣接地に鹿児島銀行・南日本銀行・宮崎銀行、やや離れた地点に鹿児島信用金庫・宮崎太陽銀行の鹿屋支店が所在します。 ^ 鹿屋市役所や鹿屋市最大の商業施設であるプラッセだいわ鹿屋店、鹿屋郵便局は当地区にありますが、いずれも北田町・本町といった従来の中心市街地からは離れた位置にあります。 ^ 2006年後半から駐車場としても利用。 ^ 鹿屋バスセンターは跡地裏にて大隅交通ネットワークの鹿屋支社として(バスの運行管理、乗車券、旅行代理店業務)存在するものの、本来のバスセンターとしての機能は無くなり、「鹿屋」という停留所としての扱いになっています。そのため、発車案内放送などは行われていません。 ^ 『地磁気観測所|地磁気観測所について|鹿屋出張所』 1948年に都城市から移転。他の出張所は女満別出張所(北海道大空町)のみです。 ^ 大隅半島内には鹿屋院・串良院・禰寝院などがあります ^ 郡の範囲は『鹿屋市史 上巻』(1967年)90-91頁に基づきます。 ^ 『高城町史』 高城町、1988年。高城町公式サイト内。肝付氏は建武年間に高城町にあった三俣院を拠点としていました。 ^ 『高城町史』 177頁。 ^ 禰寝重長像 鹿児島県公式サイト内。 ^ 『高城町史』 325頁。 ^ 特に「編纂序文」と270-273頁を参照。「編纂序文」は改訂版では削除されています。また、近世篇第1章(425頁)のタイトルは「虐げられた大隅」です。 ^ 江戸時代後期の地誌『三国名勝図会 巻四十七』(鹿屋郷の項目)に定期市・銘酒・高須甘藷に関する記述があります『鹿屋市史 上巻』『角川日本地名大辞典』にもほぼ同様の記述がみられます。 ^ 『鹿屋市史 上巻』による表現。『宮崎県史 通史編 近世下』においても、特に疲弊した地域として現在の鹿屋市付近が挙げられています。 ^ 『南日本新聞』 2006年12月28日の社説では「大隅一のにぎわい」と表現されています。 ^ 2001年5月に南日本新聞で市制60周年を機に掲載された特集などです。 ^ 特殊地下壕について 鹿児島県都市計画課。2005年4月時点では日本国内に10,280箇所あり、このうち鹿屋市内(2005年時点のため旧3町は含めない)には594箇所ありました。 ^ 危険な地下壕777ヵ所 しんぶん赤旗、2005年5月18日、赤嶺政賢公式サイト内。 ^ a b 鹿屋都市計画事業 北田大手町地区 第一種市街地再開発事業に伴う「商業エリアテナント募集」 - 立地、交通アクセス (PDF) 鹿屋商工会議所。旧鹿屋市の1世帯あたりの乗用車保有率は鹿児島県・鹿児島市・全国いずれも上回っていることが理由に挙げられます。 ^ 『南日本新聞』 1947年10月16日。 ^ 『吾平町誌 上巻(改訂版)』(1991年)を参照。 ^ 両地区の中学生が花岡中学校、根木原地区の小学生が鶴羽小学校へ越境通学していたことなどです。 ^ 曽於郡に属していた輝北町では、曽於北部(大隅町・末吉町・財部町、現在の曽於市)との合併を求める声が住民から挙がったため、2003年5月26日に任意合併協議会(同年2月12日設置)を離脱。6月29日の住民投票の結果、6割の住民が大隅中央地区を選択。7月29日までの間に、2市2町の臨時議会により輝北町の法定合併協議会への参加を議決しました。 ^ 「新市名は「大隅」に 中央法定協」『朝日新聞』2003年12月23日、鹿児島版。 ^ 合併までの経緯(広報かのや2006年1月13日号) (PDF) ^ 「賛成多数で陳情採択」『朝日新聞』2004年3月18日、鹿児島版。 ^ 「垂水市離脱を承認」『朝日新聞』2004年5月8日、鹿児島版。 ^ 大隅中央法定合併協議会は2004年7月1日付で廃止されました。 ^ 哀川翔・横峯さくらは鹿屋市出身、柴田亜衣は当時鹿屋体育大学大学院生として鹿屋市在住。 ^ a b c d e 鹿屋大隅の未来へ 広報かのや2015年1月13日号、6-11頁。 ^ 『鹿屋市史 下巻(1995年版)』154頁。 ^ 市長のプロフィール - 鹿屋市公式ウェブサイト内(現在はリンク切れ)。「栄」も使用されています。 ^ 平成26年1月19日執行 鹿屋市長選挙 鹿屋市公式ウェブサイト内、2014年1月19日。 ^ 平成22年1月24日執行 鹿屋市長選挙 鹿屋市公式ウェブサイト内、2010年1月24日。 ^ a b 鹿屋市人事行政の運営等の状況の公表に関する条例に基づき、鹿屋市職員の給与等を公表します。(広報かのや2008年2月13日号) (PDF) ^ 鹿屋市 財政改革プログラム (PDF) 鹿屋市財政課。2008年1月26日閲覧。 ^ お知らせします 平成18年度決算概要(広報かのや2008年1月11日号) (PDF) ^ 鹿屋市 平成19年度 当初予算 (PDF) 鹿屋市財政課。2008年1月26日閲覧。 ^ a b c 新「鹿屋市」広域地図、地勢、面積、人口、就業人口、産業(広報かのや2006年1月13日号) (PDF) ^ かのや食と農再発見 - 早期水稲 - 安全でおいしい地元の米は、子どもたちにも大人気(広報かのや2008年7月11日号) (PDF) 3月下旬に田植え、7月下旬には稲刈りが行われます。野里町では

日本
地方九州地方
都道府県鹿児島県
団体コード46203-9
面積448.15km?
推計人口、2016年2月1日)
人口密度231人/km?
隣接自治体垂水市、霧島市、曽於市、
肝属郡東串良町、錦江町、肝付町、
曽於郡大崎町
市の木クス(2007年4月1日制定)
市の花バラ(2006年5月15日制定)
鹿屋市役所
所在地〒893-8501
北緯31度22分41.6秒東経130度51分8秒座標: 北緯31度22分41.6秒 東経130度51分8秒

近所のスポット

株式会社カナザワ

空缶回収,空きびん回収,一般廃棄物収集運搬業,一般廃棄物処理業,グリストラップ清掃業,計量証明,古紙回収,鹿児島県,鹿屋市,株式会社カナザワ

掲載名株式会社カナザワ
フリガナカブシキガイシヤカナザワ
電話番号

0994-41-1717

FAX番号0994-41-1719
住所(〒893-0024)鹿児島県鹿屋市下祓川町3568-1
アクセス

◆バス

東原バス停留所・徒歩10分

◆車

札元交差点から1分

駐車場
クレジットカード
URL

http://www.41-1717.jp

E-mail

info@41-1717.jp

営業時間09:00~17:00
休業日日曜のみ

AI不動産

鹿屋市,不動産取引,AI不動産,,大隅半島,不動産取引,住宅販売

賃貸賃貸マンション、中古マンション、賃貸アパート、定期借地権、アパート・マンション(学生)、下宿、貸家、建売住宅土地、貸駐車場、貸事務所、貸店舗、別荘、貸倉庫
売買新築分譲住宅、新築分譲マンション、中古住宅、中古マンション、事務所、店舗、土地、別荘、価格査定
相談・コンサルティング資産運用、相続・税制、投資、土地活用、不動産トラブル、設計、マンション経営、リフォーム、買替え、建替え
管理アパート・マンション、事務所、倉庫、ビル、駐車場
代行業家賃回収、競売の入札
建設新築、増築、リフォーム、造園
取り扱いエリア
許認可鹿児島県知事免許4第3919号
所属団体(社)全国宅地建物取引業保証協会
掲載名AI不動産
フリガナアイフドウサン.
電話番号

0994-44-7737

FAX番号
住所(〒893-0011)鹿児島県鹿屋市打馬2丁目11-10
アクセス

◆その他

北田町交差点より空港方面へ車で3分。鹿児島県合同庁舎より100m手前の右側。

駐車場
クレジットカードお取り扱いしておりません
URL

http://www.minc.ne.jp/~aifudousan/

E-mail

お気軽にお問い合わせ下さい。

aifudousan@po.minc.ne.jp

営業時間08:30~19:00
休業日年中無休

鹿屋どうぶつ病院

鹿児島県,鹿屋市,動物病院,土日診療,ペットホテル,ドッグラン,往診,鹿屋どうぶつ病院,予防接種

対象動物犬、猫
診療内容健康診断、投薬治療、予防接種
午前診療時間09:00

12:00
09:00

12:00
09:00

12:00
09:00

12:00
10:00

12:00
10:00

12:00
手術・往診・予約診療13:00

15:00
13:00

15:00
13:00

15:00
13:00

15:00
13:00

15:00
13:00

15:00
午後診療時間15:00

19:00
15:00

19:00
15:00

19:00
15:00

19:00
15:00

19:00
15:00

19:00
休日診療、急患随時受付
休診日

火曜日、毎月第1、第3水曜日

予約

当日予約可、電話予約可

院長名関屋 仁
獣医師獣医師数1名:男性1名
保険動物医療保険取り扱い
往診
入院設備
インフォームドコンセント
診療情報開示
各種相談飼育相談、しつけ相談、カウンセリング、栄養相談
掲載名鹿屋どうぶつ病院
フリガナカノヤドウブツビョウイン
電話番号

0994-40-2222

FAX番号
住所(〒893-0055)鹿児島県鹿屋市野里町4536-11
アクセス

◆その他

詳しくは地図をご覧下さい

駐車場
クレジットカード
URL
E-mail

アート引越センター鹿屋センター

運送,引越運送,鹿児島県,鹿屋市,アート引越センター鹿屋センター

引越し単身者の引越し、家族の引越し、事務所移転、学生の引越し、長短距離引越し
サービス見積・相談、家具の移動
倉庫
備考時間指定、引越保険、梱包、開梱、エアコン移設、電気工事、アンテナ工事、全国ネット、割引サービス
掲載名アート引越センター鹿屋センター
フリガナアートヒッコシセンターカノヤセンター
電話番号

0120-330123

FAX番号
住所(〒893-0014)鹿児島県鹿屋市寿5丁目24-17
アクセス
駐車場
クレジットカード各種取扱、お問合せ下さい。
URL
E-mail
営業時間
休業日 日・祝日も営業

鹿屋コンタクトレンズセンター

鹿屋市,コンタクトレンズ,鹿屋コンタクトレンズセンター,

掲載名鹿屋コンタクトレンズセンター
フリガナカノヤコンタクトレンズセンター
電話番号

0994-43-2025

FAX番号0994-43-2026
住所(〒893-0007)鹿児島県鹿屋市北田町6-14
アクセス

◆バス

鹿屋バスセンター停留所・徒歩5分

◆その他

ハローワーク徒歩1分
竹中駐車場裏、田之上眼科ビル1階

駐車場
クレジットカードVISA、MASTER、JCB、NICOS、UFJ、その他
URL
E-mail
営業時間 月~水・金08:30~17:00
(受付は16:30まで)
土08:30~12:30
休業日 木・日・祝日、第三土曜

古着SAKAGUCHI

鹿屋市,リサイクルショップ,古着SAKAGUCHI,

取り扱い品その他(衣類全般 かばん 靴 帽子 マフラー アクセサリー 服飾雑貨 など)
掲載名古着SAKAGUCHI
フリガナフルギサカグチ
電話番号

0994-40-2922

FAX番号0994-40-2922
住所(〒893-0014)鹿児島県鹿屋市寿3丁目8-3
アクセス

◆その他

鹿屋警察署となり

駐車場75台 駐車料金 無料
クレジットカードお取り扱いしておりません
URL

http://www.shop-sakaguchi.com/

E-mail

info@shop-sakaguchi.com

営業時間販売10:00~20:00
買取10:00~19:00
休業日

株式会社ベルキャンバス

イベントプロダクション,音響設備・技術,会場設営,看板・標識製作,テント・シート,舞台照明,リース,鹿児島県,鹿屋市,株式会社ベルキャンバス

掲載名株式会社ベルキャンバス
フリガナカブシキガイシャベルキャンバス
電話番号

0994-45-6162

FAX番号0994-45-6163
住所(〒893-0067)鹿児島県鹿屋市大浦町11479-16
アクセス

◆その他

○ニシムタ鹿屋店そば

駐車場
クレジットカード
URL
E-mail

bell.c@poem.ocn.ne.jp

営業時間
休業日

おおやま歯科クリニック

歯科,小児歯科,鹿児島県,鹿屋市,おおやま歯科クリニック

診療科目歯科、小児歯科、歯科口腔外科
診療時間09:00

12:00
09:00

12:00
09:00

12:00
09:00

12:00
09:00

12:00
09:00

12:30
14:30

18:30
14:30

18:30
14:30

18:30
14:30

18:30
14:30

18:30
休診日

日曜・祝日

予約

提携医療機関鹿屋市歯科
院長名大山 宏史
歯科医師に関する事項

男性1名 (平成19年10月1日現在)

医療従事者及び従業員に関する事項

歯科衛生士5名、歯科助手2名、受付1名 (平成19年10月1日現在)

健康相談・検診歯の健康相談、歯の定期検診、歯周病検診、歯周疾患の処置、咬合調整
掲載名おおやま歯科クリニック
フリガナオオヤマシカクリニック
電話番号

0994-43-3210

FAX番号0994-43-3019
住所(〒893-0014)鹿児島県鹿屋市寿4丁目6-48
アクセス

◆その他

鹿児島交通バス 中央高校前

駐車場
クレジットカードVISA、MASTER、DC、NICOS、UFJ
URL

http://www3.synapse.ne.jp/shinko/ooyama-dental/

E-mail

ホワイトエッセンス鹿児島

歯科,鹿児島県,鹿児島市,ホワイトエッセンス鹿児島

診療科目歯科
診療時間10:00

20:00
10:00

20:00
10:00

20:00
10:00

20:00
10:00

20:00
10:00

20:00
10:00

20:00
休診日

土日も診療いたします。 年中無休(マルヤガーデンズの休館日に準ずる)

予約

電話予約可、メール予約可

提携医療機関よしどめデンタルクリニックマルヤガーデンズ
院長名吉留 英俊
院長略歴
掲載名ホワイトエッセンス鹿児島
フリガナホワイトエッセンスカゴシマ
電話番号

099-208-4646

0120-70-8846

FAX番号099-227-8211
住所(〒892-0826)鹿児島県鹿児島市呉服町6-5-4F
アクセス

◆鉄道

いづろ通駅徒歩2分

天文館通駅徒歩3分

朝日通駅徒歩6分

駐車場
クレジットカードVISA、MASTER、JCB、AMEX、UC、その他(各種カードをお取扱いできます)
URL

http://www.whiteessence.com/

E-mail

寺崎皮膚科

皮膚科,鹿児島県,鹿屋市,寺崎皮膚科

診療科目皮膚科、美容皮膚科
診療時間08:30

12:00
08:30

12:00
08:30

12:00
08:30

12:00
08:30

12:00
08:30

12:00
14:00

18:00
14:00

18:00
14:00

18:00
14:00

18:00
14:00

15:00
水曜日午後休診
休診日

第1・3・5土曜日、年末年始、日曜日、祝日

予約

提携医療機関鹿児島大学病院、鹿屋医療センター
院長名寺崎 健治朗
医師に関する事項

男性2名 女性1名 (H25.9月現在)

日本皮膚科学会認定 皮膚科専門医 理事長 寺崎 健
日本皮膚科学会認定 皮膚科専門医 院長 寺崎 健治朗
日本皮膚科学会認定 皮膚科専門医 橋本 千晶

医療従事者及び従業員に関する事項

正看護師6名 准看護師2名(H25.9月現在)

入院設備及び病床群

予防接種
掲載名寺崎皮膚科
フリガナテラサキヒフカ
電話番号

0994-43-2886

FAX番号0994-43-2381
住所(〒893-0008)鹿児島県鹿屋市西大手町7-9
アクセス

◆バス

鹿児島交通 鹿屋バスセンター停留所・徒歩3分

◆車

鹿児島交通 鹿屋バスセンターから100m先

◆その他

鹿児島交通 鹿屋バスセンター裏

駐車場
クレジットカードお取り扱いしておりません
URL
E-mail